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📌 标签:hatena

これはmaimai歴10周年を迎えた私が,誰のためにもならない壮大な自己紹介をするだけのブログ

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はじめに

こんにちは.いくら~と申します.長野県在住で現在26歳です.界隈ではかなりの年配者という立ち位置になってきていますが,気持ちだけはまだまだ現役です.

ところでこの名前は自分の本名からとっていますが,未だにこの情報だけで本名を当てられたことはなく,自慢の名前です.最近は学校の教員をやっていることから,いくら~先生と名乗ったり,呼ばれたりすることも多いです.*1

2024年をもって,確実に自分のmaimai歴が10周年を迎えました.今回アドカレの企画を見た時真っ先にやってみたいと思ったのが今回の壮大な自己紹介ブログです.自分はmaimaiというゲームが大好きです.10年やっているにしては特別上手いというわけではありませんが,それなりにはこのゲームを色々な意味で頑張ってきました.

このブログでは,これまでのマイマイマーとしての自分について,大きく4つの時期に区切りながら,筆の進むままに語ります.改めて自分とは何かということについて雑多に考えるためのきっかけが欲しかったというのもこのブログを書く動機になっています.装飾とかは控えめですが,よろしければ最後までお付き合いください.

第1期(ORANGE~MURASAKi)

高校時代 - maimaiとの出会い

このゲームに出会ったのは高校2年生の時,2014年のことです*2.当時は太鼓の達人を中心にやっていたガキンチョ音ゲーマーでしたが,今や幻となった天下一音ゲ祭でのGarakuta Doll Playの移植を機にmaimaiというゲームの存在をきちんと認知しました.

私の人生を完全に変えてしまったピエロさん

また,この頃はORANGEの中期~後期だったのですが,GreeN PLUSの初期に実施されていたアイドルマスターとのコラボイベントの復刻が行われていました.高校生当時は自分のオタク人生の黎明期でもあり,そのきっかけとなったアイドルマスターのコラボイベントもmaimaiをプレイする大きなきっかけとなりました.すでに当時から同じ中高の後輩として仲良かった音ゲー仲間のききぞう君を誘い,2人でこぢんまりと楽しんでいたと思います.

ききぞう先生の肖像画
Blueskyで定常的に「犬」と呟くことでお馴染み

しかし時期はすでに高校2年生.しかも私はいわゆる進学校に通っており,また志望校もそれなりに高いところを目指していましたので,大学受験を強く意識する時期でもありました.金銭,時間,精神的余裕…,様々な理由により上達のスピードは緩やかでした.先にmaimaiを始めたのは私だったはずですが,ききぞう君にはわりとあっさり実力は追い越されました.

大学進学 出会いと挫折 奮起

さて,高校を卒業し大学進学を機に上京.実力的には現在でいう銀レートくらいでした.ここでmaimai生活1つ目の転機が訪れます.たまたま同じ大学の繋がりでレート理論値経験者と出会います.現基準の13すらまともに叩けなかった私にとって,彼との出会いは衝撃そのものでした.彼には色々と教えてもらいました.センサーについての基礎知識,スライドの持ち替え,プレートの存在などmaimai界隈にいればどれも必須の知識ですが,この頃の私は情報収集も不得手だったので,ここで「音ゲーをガチでやる」とはどういうことなのかを肌で知ることができました.

しかし残念ながら,私はこの東京での大学生活を早々にリタイアしてしまいます.この話をし始めると,大幅に脱線してしまうため詳細は割愛しますが,最終的に私は地元の長野県に戻り,いわゆる仮面浪人の生活をはじめます.ただ,高校時代の自分はそれなりに勉強しており,地元の大学はレベル的にかなり余裕をもって入ることができるという自信がありました.このため,仮面浪人の時期は,高校時代に我慢していたストレス,また東京での生活で抱えたストレスを発散しようと音ゲーに明け暮れることになります.また結果的には,maimai界隈に身を置く上で自分にとって居心地の良い環境を整えていきました.

今考えると奇跡以外の何物でもありませんが,当時の私の行動範囲には,100円2クレジットのサービスをやってくれるゲームセンターが4つもありました.それぞれのゲームセンターで曜日が異なっており,1週間で4日も100円2クレジットの恩恵を享受することができました*3.これはあまりに大きかったなと思います.

同じ高校の2個下の後輩に数人一緒にmaimaiをやる仲間ができたのも大きかったです.行動時間が完全に一緒というわけではなかったですが,実力が近かったのもあり,しょっちゅう一緒にやっていました.それ以外にも地元でも少しずつmaimaiの知り合いを増やしていきました.基本的に私は初対面の人に脈絡もなく話しかけるのはそこまで得意ではないのですが,Twitterも駆使しながらなんとか知り合いを増やし,自分なりにmaimaiをもっと学ぶ・上手くなるための環境を整備していたなと思います.

maimai生活3年目の集大成

大学のリタイア,仮面浪人というのは一般的にはネガティブに語られがちです.しかし,上述のように私のmaimaiを取り巻く環境の観点から見れば,これは追い風だったと言う他ないでしょう.結果的に,PiNK PLUS~MURASAKiの頃,飛躍的にmaimaiが上手くなり,当時の準高難易度,今でいう13+中位から14下位くらいの譜面に手を出せるくらいの実力になりました.そして年が明けた2017年,ついにバージョン制覇プレートの存在を意識し始めます.

今考えると愚の骨頂ですが,私が手を出したのは将プレートでも極プレートでもありません.神プレート ―― 真神でした.

原点にして頂点.それが真神.

理由はいくつかあります.まず当時存在した超将~櫻将までにおいて,SSSを出せる可能性を感じられない譜面がどのバージョンにも1つ以上存在しました.

![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/i/i9R/20241211/20241211221209.jpg) ![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/i/i9R/20241211/20241211221228.jpg) ![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/i/i9R/20241211/20241211221235.jpg) ![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/i/i9R/20241211/20241211221241.jpg) ![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/i/i9R/20241211/20241211221247.jpg) ![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/i/i9R/20241211/20241211221257.jpg)  当時「SSSなんて無理だろ」と決めつけていた方々(一例)  

なんでこの辺を無理と決めつけておいて,FragranceはAPできると思ったんでしょうね

また,上述した東京で出会ったmaimaiの師が真神持ちであり,シンプルに憧れを抱いたこと.また彼に真系譜面で地力を上げるという考え方を教わっていた,ということもあり一度真剣に向き合いたかった,という気持ちもありました.

(MURASAKiの時の基準なので,今と感覚は随分異なるとはいえ)狙い始めた時の私はプラチナレートに到達したくらいです.そんな人が神プレートを狙うといったら,どれほど道のりが険しいものだったかは想像に難くないでしょう.最後に残ったFragranceの初APまでのプレイ回数は779回.他にも200~300回をこなす曲が複数存在します.しかし,上述したものをはじめとする様々な要素が追い風となり,私の背中を押してくれました.

真系のAPを始めて約半年.2017年6月17日.私の神プレート1枚目となる真神を取得しました.この日付は7年以上経過した今でも明確に覚えているくらいには嬉しく,印象的な日でした.また,当時の長野県のマイマイマーで神プレートを持っていたのは片手で数えられるか否かくらいの人数でしたので,この頃から県内のmaimai界隈におけるプレゼンスも少しずつ高まっていったのではと思います.

第2期 (MURASAKi PLUS~FiNALE)

ちなみに仮面浪人の結果,無事地元の大学には合格を果たし,真神取得の少し前から晴れて大学生活を再スタートさせることができました.アルバイトを始めたり,大学生特有の長期の休みもあり,maimaiにかかる行動がアクティブになっていきます.

人との出会いの大切さ

県外のマイマイマーとの交流が増えたのはこの頃からです.後述しますが,MiLKの頃には神プレートの2枚目,さらには舞舞プレートを視野に入れ始めます.神プレートはまだしも,舞舞プレートは長野県だけでは中々取得が難しいと思ったのがきっかけだったと思います.

まずは東京.上述した東京で出会ったmaimaiの師は,この頃には大分maimaiから離れていましたが,彼とのつながりで何人かのプレイヤーと知り合うことができました.今も何人かとは交流が続いています.

また,何度か足を運んだのが千葉県.ここは先ほど脚注でも言及した,本当の意味で私とはじめてmaimaiをやった私の同級生,ぽめとら君が当時住んでいました*4.彼がmaimaiを本格的にやり始めたのがMURASAKi PLUSくらいの頃だったと思いますが,大切なリア友ですから当然一緒にやりたいわけです.とはいえさすが関東.私よりもはるかに上手いプレイヤーが数多くいました.ぽめとら君に紹介してもらいながら,千葉勢とも仲良くなることができました.

そして秋田県TwitterでPiNKの頃から仲良くさせてもらっているぽいふる君という子が住んでおり,いつか会いに行きたいと思っていました.知り合ってから約2~3年の時を経た2018年の3月頃,大学の春休みを利用して長野~秋田を夜行バスと鈍行列車だけで往復する大旅行を敢行します.今考えると時間と気力だけにものを言わせたとんでもない旅程です.この秋田遠征において,大きな副産物を得ます.maimai界隈をある程度知っている方であれば,maimaiと秋田県と言われたら,ある人のことが思い浮かぶのではないでしょうか.

そうです.てんぷら君です.

ぽいふる君からてんぷら君を紹介してもらえたこと.この日だけの縁に終わらず,彼ら秋田勢と私を含めた一部の長野勢が交流するきっかけを作れたこと.これらに関しては,当時の自分の行動力に感謝してもしきれません.後述しますが,秋田勢との交流はコロナ禍を乗り越えた現在,当時よりもさらに密度を増して続いていくことになります.当時の私は予想していなかったはずですが,結果的には,私のこの秋田遠征は,特に長野県のmaimai界隈にとっては大きなターニングポイントになったのだと思います.

YouTubeでのバズ

YouTubeでの動画投稿についても触れておきます.拙作,「【maimai】高難易度譜面まとめ」のシリーズが,ありがたいことにどれも2万回以上再生されています.

youtube.com

作るきっかけは,「太鼓の達人界隈で見たやつをmaimaiでも見たい」というごく単純な二番煎じの発想でしかありませんが,このシリーズのヒットは,maimai旧筐体の終焉・でらっくす筐体への移行という,maimai界隈全体がセンチメンタルな雰囲気に包まれていた時期に合わせた,というのも大きかったのではと思います.

また,でらっくす以降maimaiの楽曲メドレー動画を投稿される方が増えたような気がします.そういう意味では,maimai界隈における小さな変化をもたらした…のかもしれません.さらには,嬉しいことに(恥ずかしいことに?),「いくら~」という名前を知らなくとも,この動画なら知っているという方にも何人かお会いしたことがあります.私は決してフォロワーも多くありませんので,maimai界隈における有名人を名乗るおこがましさはありません.しかし,思った以上に自分の活動が界隈に知れ渡っているのかもしれない,としばしば考えると,なんとも複雑な気持ちにもなります.

実力は急成長.しかし…

この時期の私の実力について簡単に触れておくと,「成果としてかなり派手なものが続々と達成できた時期」とまとめることができます.MURASAKi PLUSからFiNALEまでの4バージョンで,超・檄・橙・暁・白の計5バージョンの神プレート,舞舞プレートを取得.特に白神・白舞舞については,当時確実に県内で私しかもっていない称号であり,*5県内におけるプレゼンスはさらに高まったと思います.

暁舞舞は東京勢や秋田勢に,白舞舞は千葉勢にいくつかの上位譜面をつけてもらいました
また,下位~中位譜面や下埋めは,地元の友達にたくさん付き合ってもらいました
「成果」という面でも,人には恵まれているなとたびたび思わされます

また,桃バージョンと菫バージョンのMASTER譜面も全てALL PERFECTを達成(いわゆる神プレート確定)し,MASTER譜面の大多数をALL PERFECTしたことになります.さらに,FiNALEには当時の12+(今の13+中位~14下位)の全曲ALL PERFECT達成という節目ともなる記録を達成しました.

同じくFiNALEの頃,私の現在のホームゲームセンター,アピナ松本店にて店舗大会が開催されました.長野県内最強を決める戦い,みたいな触れ込みをしていた大会でもありましたが,結果は見事優勝.当時「県内1位」と呼ばれる筆頭候補のプレイヤーは私ではなく,別の方だったと思います*6が,その方に僅差で勝つことができました.

これらの成果・記録は大きな自信となり,この頃から「県内1位」というワードが私の頭の中をちらつき始めます.そして「正真正銘の県内1位になる」という野望を密かに抱き始めます*7.しかしこの野望は,この後数年間私を苦しめることになります.

第3期(でらっくす~UNiVERSE頃?)

当時の妄執を分析する

補足しておくと,長野県のmaimai界隈には,KOPやLCQの常連のような,いわゆる全国に名を連ねるトップランカーはいません.未だに舞神達成(確定)者すら現れていませんので,上で語った実力程度でも県内1位という言葉は決して当時の私にとって高望みではなかったことは分かるかと思います.

さて,この「正真正銘の県内1位」という得体の知れない言葉ですが,切り分けてみると様々な要素から成り立っています.

でらっくスコア
- 叩き方の綺麗さ

数値化できるものもあれば,非常に曖昧で達成したかの判断がしがたいような指標も混ざっていますよね.実際,私も今これを見るとそう思います.ただ,当時の私はここまで欲張っていたのだと思います.

新筐体の稼働後1~2年(大体Splash PLUSくらいまで)の成果としては,櫻,紫,雪バージョンのMASTER全譜面ALL PERFECT,雪神取得,In Chaos Re:MASTER 理論値ALL PERFECT(新筐体初.全国11人目),Splash期オトモダチ対戦LEGEND到達,などが挙げられます.

![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/i/i9R/20241212/20241212203049.jpg) ![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/i/i9R/20241212/20241212203140.jpg) ![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/i/i9R/20241212/20241212203111.jpg) ![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/i/i9R/20241212/20241212203120.jpg) ![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/i/i9R/20241212/20241212203129.jpg) ![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/i/i9R/20241212/20241212203122.jpg)  この期間の主要なALL PERFECT達成譜面  

質は確実に上がっている…のだが…

顔ぶれを見れば分かるかと思いますが,錚々たるメンツです.いよいよ最上位に手を出せるようになってきたと喜ぶべきところです.実際これらのAP達成時には喜んでいたのは確かです.しかし,どこかで不満を感じていた自分も確かに存在しました.

もっと上を目指せる

もっと安定感をつけないといけない

さっさと輝神を取らないと

書いていてほとほと呆れますが,これらは確かにかつて自分が持っていたはずの気持ちです.総じて,この時の自分は目標が完全に現実と乖離しすぎており,正しい目標を見定めるのに四苦八苦していたような気がします.さらにはAPなど目標スコアに到達するまでの回数に対して,この時期は殊に過敏になっていたと思います.

また,今でこそでらっくスコアのシステムはとても好きですが,実装されてから数年は本当に苦戦しました.そもそも旧筐体と新筐体では明らかに判定が異なる.判定調整の考え方が中々分からない.その一方で親友のききぞう君をはじめ,着々とでらっくスコアで腕をあげている人たちがいる.「正真正銘の県内1位」を目指す上で,さらなる足枷になっていたのは言うまでもありません.

環境的な逆風

精神的にも参っていたわけですが,他にも自分の中でつらかったことはいくつかあります.まずはききぞう君はじめ,よく一緒にプレイしていた仲間と会う機会が目に見えて減ってしまいました.もちろん全くの孤独になってしまった,というわけではないですし,この時期も地元で新たな出会いには恵まれました.とはいえ,どことない寂しさを覚えたのもまた事実.ききぞう君が大学の進級に伴い,別のキャンパスに行ってしまったので,時々車を走らせては会いにいったものです.

また,そもそもでらっくす筐体のボタンに慣れるのに時間がかかったなとも思います.新筐体初日の2019年7月11日は,ウッキウキでゲームセンターに乗り込んだわけですが,初めてボタンを触った時の絶望感は未だに忘れられません.*8

そして忘れてはならないのが新型コロナのパンデミック.もはや過去の出来事ですが,マスクをつけてmaimaiをしなければならなかったのは中々にしんどかった.ちょうどコロナ禍に入った2020年は,大学4年生になり,卒論執筆・教育実習・院試対策と学業の面でも追われていた時期でした.

それでも火は灯り続ける

メンタル的にも環境的にも逆風が吹いていたこの時期.しかし,奇跡的に私のmaimaiに対する熱は完全には消えず,maimaiが好きという想いは持ち続けることができたと思います.その一例としてご紹介したいのが,こちらの動画.

youtu.be

いわゆる初心者指南的な動画です.今見返すと,かなり自分の強い思想が入っており微笑ましいですが*9,このシリーズもそれなりに再生数をいただくことができました.この動画はかなり大きな企画でしたが,後輩指導にも本格的に興味が出始めてきました.特定のレベルの非公式難易度表を作ってみたり,SSSやSSS+の許容を一覧にしたリストを作ったりなど,(どれも長続きはしませんでしたが)いろんなことをしていました.

そして,私という人間を語る上で避けて通れないのがD4DJ Groovy Mix(グルミク)というスマホ音ゲーとの出会いです.ゲキチュウマイのアドカレにおいては「脱線」ですが,少々お付き合いください.

本当にすごいゲームですよこれ

4周年を迎えたゲームですが,相当に音楽ゲーム部分の作りが凝っています.maimaiのモチベーションが下火だったり,コロナや学業の忙しさから中々ゲームセンターに行く気になれなかったこの時期,私はこのゲームにどっぷりのめりこみます.

かなり独特で慣れを要する(≒人を選ぶ)操作体験であるため,プロセカのように巨大な人口を抱えていなかったこと.またリリース初期の譜面はギミック重視のものが多く,指押しや高速トリルといった「汎用的な音ゲー力」が求められるものはかなり少なかったこと*10.これらが幸いして,気づいたらこのゲームのトップランカーを名乗っても罰当たりではない実力になっていたのです.実際,リリース後約1年半後に実施された第1回目の公式大会,「グルミク杯2022」ではHappy Around!リーグの予選で7位に入賞します.

まあここから順位動くことほとんどなさそうなので先んじて&改めて。

グルミク杯予選お疲れ様でした。結果はハピアラリーグ7位でした。結果的には当初の予想通りくらいの順位だったような気がしますが、初日はいいところに行ったこともあり、食らいつけなかった悔しさは残ります。 pic.twitter.com/4HrqtJASMy — いくら〜 (@Star_Reach_1024) 2022年3月6日

4位までが決勝大会に出場できる狭き門であり,また自己ベストから考えるとメンタル勝負で勝てていれば決勝出場もありえたため,悔しさは確かにありました.

ただここで大事なのは,別の音ゲーといえど,1つの音ゲーを「やりきった」と胸を張って言えるレベルまでやりこめた,ということです.今の私はほとんどグルミクはやっていません.時々やりたくなることもありますが,上述の大会のリザルト以外で後悔していることはほとんどありません.自分がやっていた時の楽曲は全てPFC(maimaiでいうALL PERFECT)で制覇していましたし,「この曲ができなくて諦めてしまった」ということはないです.本当に自分の中では「やりきった」んだと思っています.グルミクと出会い,一時期は確実にグルミクの方が優先度が高かった時期はあります.それでも音ゲーが好き,maimaiが好きという気持ちは消えることはなく,グルミクを「やりきった」後は自然と再びmaimaiへと熱が戻っていきました.

第4期(UNiVERSE PLUS~現在)

「成果を焦らない」という精神的成長

このタイトルが全てですが,第3期の頃の自分と今の自分を比べて確実に違いを感じるのはこの部分です.

グルミクを「やりきった」ことで見えた満足感となんとも言えない寂しさを知ったからか.

「maimaiで正真正銘の県内1位」を取るという野望を,別のゲームで,ある程度進化した形で達成したからか.

はたまた社会人になる日が近づいて,そして社会人に実際になって,お金には少し余裕ができた一方,限りある時間を精いっぱい楽しみたいという考え方にシフトしていったからか.

理由は分かりませんし,きっと自覚できてないものも含めて複合的なのでしょうが,今の私は「いかにこのゲームを長く楽しむか」という考え方になれたと思っています.もちろんこれは「上手くなることを諦めた」という意味では決してありません.「長く楽しむために」上手くなることを考えることは当然あります.やっぱりゲームは上手くなった方が楽しみ方が広がると思いますからね.ちなみにこのブログを執筆している今はFalsum Atlantis.に絶賛呪われています.1グレ何回踏んだんだろう…翠楼屋を許すな

イベントメイカーとしての役割

話が少し変わります.2022年の6月.なんとあのてんぷら君が遥々秋田から長野にやってきてくれることになったのです.上述した秋田遠征が2018年のことですから,実に4年ぶりの再会.当時は大学院の2年生で,派手に学生らしい遊びができるのはこれが最後かもしれないと思い,自分なりに全力でもてなすことができたと思います.なお,この時雪舞舞の上位を彼にたくさんつけてもらったのですが,larvaで本当に地獄を見ました.結果的にはシンクがついたので,今でもお互いに良い思い出です.

お互い変な癖がついてとんでもない沼を見ましたが無事完結!!

larva FULL SYNC DX。てんぷら君本当に最後まで付き合ってくれて本当にありがとう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!最高の思い出だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! pic.twitter.com/ndYWpwbOwA — いくら〜 (@Star_Reach_1024) 2022年6月11日

しかし,この時の「最後になるかも」という予感は良い意味で裏切られることになります.2023年のゴールデンウィーク,今度はてんぷら君,さらにはぽいふる君が来てくれることになったのです.彼らに加え,KOPファイナリストであるのん君や後にLCQ出場者になったよひら君など,各地から凄腕のマイマイマーが集まることに.最終的には15人近くが一同に集結する,田舎とは思えない規模の特大イベントになりました.

14人でのバーベキュー
誇張抜きで一生の思い出になる写真だと思います

初めましてになる組み合わせも数多くあったわけですが,このイベントの幹事的役割をなんとかこなし,無事大成功に終えることができました.今もこの時の絆はTwitterを通じて繋がっています.

今年2024年もゴールデンウィークに同じ会を実施しました.予算の関係で去年参加したうちの数人は集まれませんでしたが,それでも10人近い人数が1年越しに集まることができました.今年は,3年連続で遠路はるばる来てくれているてんぷら君への感謝の気持ちを込めて,サプライズで少し早いバースデープレゼントを準備.とても喜んでくれました.

少し早めの誕生日サプライズ食らってマジで今泣きそう
本当に皆ありがとうございます、寄せ書き一生の宝にします pic.twitter.com/Zcedk1zffS — てんぷら (@TEMPUrA_y) 2024年5月5日

また,イベントというと,私のホームゲーセン,アピナ松本店での店舗交流会の開催は記憶に新しいです.

【正式告知】
松本アピナ maimai交流会 開催!!

10/13(日)19:00-22:00にて交流会開催します!!告知用のPOPが完成いたしましたので,お披露目です!

今後はカジュアルな「交流イベント」,そして長野県で一番maimaiが上手いヤツを決める(?)「ガチ大会」の情報をお伝えします! pic.twitter.com/KSZtHJgG2E — 松本アピナ maimai交流会 (@api_matsu_mai) 2024年10月2日

この時はソラキチ君という,長いこと長野県maimai界隈の中心で活躍している子と一緒に運営を行いました.こちらも県内外から多くのプレイヤーを集めることができ,次へと繋がる手ごたえを得ることができました.

このように,ここ数年で交流イベントを複数取り仕切ってきたのは大きな経験値になったと思います.実際,今年のゴールデンウィークのバースデーサプライズや,アピナ松本店の交流会における企画などの多くが私の発案であり,「人を楽しませる」という観点においては,もちろん限定的ではありますが,この界隈で一定の貢献ができたのではないかと思っています.

「妖怪」いくら~

最近の私を語る上でもう1つ外せないのが,「妖怪」という呼ばれ方.グルミクを通して知り合ったぽーく君にmaimaiを布教することに成功したのですが,その時に「練習になる」と言って紹介する譜面に,癖が強いものが多く混ざっており,それを見た共通の知人(ききぞう君とか)が次第に私を「妖怪」と呼ぶようになりました.

実際のところ,私の考える「練習になる譜面」が世間一般的に思われているそれとは乖離していた(している?)のは事実.若干反省しないといけないところではあるのですが,とはいえ最近一部の長野県maimai勢の中では,いわゆる「笑顔譜面」が少しブームにもなっています(最近はちょっと落ち着いたかな?).この意味では,長野県における自分のプレゼンスを確かに実感できた一幕でもありました.

おわりに

ここまでお付き合いいただきありがとうございました.10年のmaimai歴の変遷をかいつまみながら書こうとはしたものの,書きたいエピソードが次々と出てきてしまい,当初の予想よりもはるかに大変な執筆作業になってしまいました.

こうして見ると,決して順風満帆なmaimai人生ではなかったと思います.この10年一度も長期的に(2ヶ月以上?)maimaiから離れたことはないのですが,それでもこうして振り返ると闇の時期もあったなあと思います.その上,「井の中の蛙」的なことに長い間苦しめられていたわけですから,バカじゃないのと思う人もいるかと思います.実際,当時の自分は愚かだったなと嫌な気持ちになることだってあります.

しかし,こうして冷静に当時の自分を振り返ることが今はできました.それに今は,「まだまだmaimai頑張れる」「もっとmaimaiで楽しみ尽くす」という気持ちが勝っていると感じています.ゲーマーとしての目標も,その他やりたいイベントや企画も,色々とアイデアとして浮かんできます.10年経っても,この気持ちでいられているのは貴重かもしれません.

あとどのくらいこの前向きな気持ちは持つのかと不安にはなります.一方,まだ数年は大丈夫じゃないかと楽観的に考えている自分もいます.この先の自分のことは分かりませんが,グルミクの時と同じように,後から振り返って納得できる終わり方にしたいなと思います.

maimaiというゲームは私の青春そのものです.もう「青春」するには歳を取りすぎているとは思いますが,私は私なりのペースで謳歌していこうと思ってます.

これまでmaimaiを通じて出会ったすべての人に感謝を.これからもよろしくお願いいたします.

*1:ちなみにブルアカは最近やっていません

*2:正確にはそのさらに2年ほど前のmaimai PLUSの頃,中高のリア友に誘われて数クレ遊んだことはありました.そのリア友,ぽめとら君も後ほどMURASAKi PLUSの頃にマイマイマーになります.当時はそんなことになるとはお互いに知る由もなかったわけですが.ぽめとら君の話は後ほど

*3:今はこのうち2つが閉店,1つが100円2クレジットサービスをやめてしまいました.悲しいかな

*4:ちなみに先ほど紹介したききぞう君の兄にあたります.兄弟揃ってマイマイマーというわけ

*5:というか今でももしかしたらいないかも

*6:あまり関わりは持ててないですが,今でもその方を私は陰で心から尊敬しています

*7:この話は恐らく誰にもしたことがない気がします

*8:まあこれに関しては今でも旧筐体のボタンが恋しくなります.しょうがないね

*9:本当か?

*10:maimaiでもそうですが,高速トリルなどフィジカル的な側面が強い譜面はどのゲームでも苦手です